病気や怪我への、最適な向き合い方〜「SOUL & SPIRIT」より

April 22, 2021 by Systema Headquarters  
Translated by Takahide Kitagawa.

Q:病気や怪我への、最適な向き合い方とは?病気にかかると私たちは、不公平さを覚えます。

ウラジミール神父:その通りです。まず我々が教わることは、病気に原因は不要だ、という事です。彼自身、あるいは彼の両親が罪を犯しているわけではありません。キリストが生まれつき目が不自由な人を治療した時、使徒たちは尋ねました。

「彼に罪は有ったのでしょうか? あるいは彼の両親には?」と。 キリストは言いました「両親にも、彼自身にも罪はありません。」と。

キリストは彼を治療しました。彼やその親の罪のせいではありません。

神学者も、聖なる父も、神は罰しないと述べています。神は癒すのです。神は私たちの罪に怒りを抱かずに、待ち、そして癒します。神の雨は、悪人にも善人にも等しく降り注ぎます。

私の経験について話しましょう。子供を亡くした両親の話です。例えば幼い時に、あるいは大きくなってから子供を失うと、親はどうなるでしょう?  大きく生まれ変わるのです。私が所属するコミュニティにも、こういった両親がいるのを知っています。子の死を経て人は励み、敬虔なクリスチャンとなります。ライフスタイルが全く変わったり、敬虔なクリスチャンになったり、とても勤勉になったり。こういった実例を通して神は、人々を信仰へと導きます。子の死を経て親は、とても信心深く、敬虔なクリスチャンになろうと努力します。

私の両親世代ですが、第二次世界大戦がもたらしたものは何でしょうか?。 20世紀のロシアは、大きな不幸で覆われていました。スターリンの粛清や、第二次世界大戦がありました。ドイツの奴隷収容所に向かわされるため、ソビエト連邦を去る人もいました。そして何よりも、戦争においては家族がたくさん殺されました。そしてヨーロッパを出て、カナダに辿り着きます。未知の国、未知の言葉です。

しかし、この壮絶な不幸を経ることで、彼等は親切心と信心深さを得ました。カナダのどこに辿り着いても、あらゆる大都市で、彼等は直ちに教会を建てました。家を建てる資金が無くても、彼らは共に教会を建てました。

悲しみと不幸を経ることで、人は神へと近づきます。神は癒すのです。悪い社会を癒しながら、人々が神へと向き合うのを待ちます。神は世界を罰しません。それは私たち、つまりキリスト教や正教会の考えではありません。神は世界を癒すのです。ただ残念なことに、非常に厳しい方法を取ることもありますが。

病気について話しましょう。我々のコミュニティにいた、ある女性の話です。私の人生において、彼女ほど信心深い人は他にいませんでした。彼女はガンに掛かっていて、とても厳しい状況にありました。それでも彼女はテストに合格したのです。怒ることも憎むことも、全くありませんでした。 「私はもうすぐ亡くなります。週に一度は聖体礼儀を受けたいです。」と。 彼女が亡くなった後にどうすれば良いか、書置きを残したり等など、彼女の信仰深さは、驚くべきものでした。質問の主旨は不幸について、でしたね? 死とは悲しく不幸なことです。さればこその、彼女の信仰深さです。私に彼女ほどの信心深さがあるか分かりません。恐らく近くにはいるとは思うのですが。

「私には時間が有りません。準備します。」と受け入れた彼女の魂の素晴らしさに、私はとても打ちのめされ、驚嘆しました。

この地球上で過ごす時間の短さは、永遠とは比べ物になりません。我々がどのような人生を送るか。ご承知の通り人生とは、死後の在り方を決める試験のようなものです。これが不幸や病気に向き合うための回答です。神が癒してくれます。そして神に感謝しましょう。信仰を通じて我々は、悲しみや不幸を受け入れるのです。